ぬるま湯に浸かる日常

あらゆることに中途半端なならず者が、好きなように好きな話をするブログ

書くことについて

昔は何もしなくてもどんどん言葉が溢れてきて、なんだか自分でもドキドキすることが多かったのに。最近の私ときたら、相変わらず文章を書くことは好きでも、できあがったものがぜんぜんおもしろくない。大学2年の時に2日間だけ通った某音楽ライター養成講座で、某アーティストのレビューを書いたことがあった。それを読んだ先生からの私の文章へのコメントは「書くことのたのしさが伝わってきます」だった。あの頃くらいまでは、とにかくなにを書いてもたのしかったんだ。伝えたいものもあったし、熱量もあったし、なによりも文章を書くことが、だれからの押し付けでもなく、私が好きでやっていたことだからだ。

つまんなくなったのは、就活の時期から。ESが苦痛で仕方がない。文字を書き連ねるのも好きなので、その辺りは良いのだけれど、質問の内容がしょうもない。社会人になってからはもっと、書きたくない文章を、感情もなしで義務のように積み上げることが多くなった。私の心は鈍るばかりで、遠い昔のあの頃のように、なにかを繊細に感じ取ることも、それを表現することもできなくなってしまった。

毎日の速度が速い。速すぎる。音速のようにすぎていく。もう少し落ち着いて考えたい。考えたことを書き留めて振り返りたい。振り返って、その中からキラキラをすくい取りたい。それを明日の糧にしたい。でもそんな時間はないのである。帰宅したら毎日くったりだ。長時間労働も向いてなかったけれど、限られた時間の中でひたすら生産性を上げるのはもっと苦手だったようだ。窮屈でたまらない。

もっと広いところに行きたい。行きたいのに、じゃあそこでなにがしたいんだろう?と思ったところでいつも思考が止まってしまう。早くこの悪いループから抜け出したくて、いま、焦っている。気ばかり急いて、落ち着かない日々が続く。なんとなく、たぶん消耗している。

だれかになにかを伝えたいわけでもなく、ただこうやって吐き出したいだけの言葉の渦が一体なにになるんだろう。でもこんなにもスラスラと、1000字程度を書くことができるのなら、それはそれで、やっぱりまだなにかを書くのが好きなのかもしれない。

書くことは伝えること、そして繋がること。ひとりよがりでは物足りないこと。もっと前から気づきたかったなと思う。最近、特に思う。書くことで孤独を埋めて、だれかに気づいてもらいたかったんだな。だから、書くことがやめられないんだろう。