ぬるま湯に浸かる日常

あらゆることに中途半端なならず者が、好きなように好きな話をするブログ

(ほとんど)なにも思い出せなかった話

先週、エレカシスピッツミスチルのライブを観るために、土〜月までを、両親の住む東京で過ごしまして(ライブの感想についてはまた別途どこかで書きたいんですが(もう遅い?)とりあえず横に置いときますね)。その時の話です。

この年明けに両親が某玉県から都内に引っ越しまして。その先が偶然にも、私が小3〜中2までを過ごした地区だったんですね。ということで、約10年ぶりに自分が通った学校や、よく遊んだところを巡ってみて、なんかこう、思い出に浸ってみたいなって思ったんです。なんとなく、エモい気持ちになりたくて。自転車の変速をいちばん重くして商店街を駆け抜けてみたり(嘘です歩きました)、友達の家の前を通ってみたりしました。

ええ、そうやっていろんなところを巡ってみたんですけど、びっくりするくらい、ほとんどなにも覚えてなくて。だからまったくエモい気持ちにならなかったんですね。よみがえる思い出、ほぼ1ミリもない。え、なんで? ウケるんですけど。

理由としてはたぶん、私にはこの頃のことを語り合える友達が身近にいないからなんじゃないかなと。facebookでつながっているだけで、実際会って話したりとか、そんな機会はなくて。つまり、10年の間に思い出を反芻したりエモみを増幅させたりするきっかけがなかったんです。そりゃ覚えてらんないわな。

だとしたら、ですよ?

私が思春期全盛をすごしたあの東京の地で遭った嫌な目や植えつけられたトラウマって一体なんなの?って話で。そんなものばかり頭の中にこびりつかせて、憎しみだけを勝手に自分の中で増幅させていってたけど、もしかしたら、実際は本当にしょうもない、どうでもいいことだった可能性がありますよね(そんなことない!と言い切れる記憶もあるけど、それはほんの一部だけ)。

こう思った時点で、あ、もう無駄だからや〜めよ、いちいち過去に囚われるのや〜めよ、って、スパーン!と切り替えられたんですよね。自分が考えているよりずっと、人間の記憶って曖昧だし、昔のことなんていちいち覚えてらんないみたいだから。なのに、本当にそうだったのかどうかすら怪しい嫌なこと・悪いことばっかり思い出す(私の性格上の問題点)のってめっちゃくちゃアホくさい!

これに気づいた瞬間の心の軽さったら。清々しいくらいでした。むしろ気づくの遅すぎるくらいだったかも? どうせ忘れてしまう過去のことはどんどん流してバンバン清算していきたいと思います。忘れたくない大切な思い出だけ、どこかに書き残して、それを読み返してはしあわせな気持ちに浸ることの方が、よっぽど生産性ありますよね。

まぁしかし、第2の故郷とも言える場所だったはずなのに、なんの感慨深さもなかったのはちょっとショックでしたけどね。10年訪れてなかっただけで、あの空間にとっての私は完全に異物だったみたいです。知ってる風景なのに、あまりにも身体になじまなすぎた。自分だけが周りから浮いてるみたいな感覚があって、すごく居心地が悪かったです。その違和感が転校初日のことを思い出させて、うわー、出た〜、人生で数回感じたこのよそ者感〜ってなりました。土地(というかコミュニティ?)が身体にフィットしないあの感じ、すごく苦手です。だから春はいまだに好きじゃないなぁ。そういう時期だから。