ぬるま湯に浸かる日常

あらゆることに中途半端なならず者が、好きなように好きな話をするブログ

変身

半月くらい前に、右手親指に負ってしまった火傷。その患部の皮膚が、昨日ついに剥がれた。黒ずんだまま爪の下に張り付いていたそれは、細胞の死を迎え、その下で再生された皮膚に取って代わられた。ただ、そうきれいにはおさまってくれない。火傷の範囲の皮膚だけ剥がれれば良いのだけれど、そのすぐ近くにある健康なものまで一緒に剥がれそうだ。親指の皮が全部、まるまる剥けてしまうのではないかと思うくらい。こわいので、剥がれた皮膚と新しい皮膚の境目は触らずに放置している。でも、なにかに引っかかってしまったら終わりだ。

剥がれることというのは、常に痛みが伴う。皮膚もそうだし、自分自身もそうだ。

先日、働くことについて、その周辺について、何人かで話していた。その中で、「これから、人生100年時代がくる。つまりは、それだけ長い期間、働かねばならない。長期間、お金を稼げる自分でいないといけない。となると、いつまでも同じ自分でいるだけでは通用しなくなる時がくる。生きていく中で、何度か『変身』しなければいけない」ということを、ひとりが言った。

めちゃくちゃこわかった。

変身は一筋縄ではいかないし、痛みが伴うことは承知だ。その人は改めてそのことにも触れた。いままでの自分を持ちながらも、脱皮しないといけない。皮膚を剥がさねばいけない。うまく剥がれなかった時がいちばん苦しいし、本当に痛いだろう。それはつらい作業だ。とても。

自分の剥けた皮膚を見ながら、こんなことを思い出した。強固な自分をつくるには。それを考えて生きていかねばならない。問い続けることがひとつの脱皮かもしれない。問うことは生きることだ。思考停止をしたら死んでしまう。

 

なにかうまく締めようとしたが、ねむけが限界にきている。今日は寝てしまうことにする。明日はまた台風がくるようだ。このあいだのものと同様レベルだそうだ。ついに本当に、マンションが折れてしまうかもしれない。不安だ。人生は、よくわからない。不安ばかり、身の回りにあるように思う。