ぬるま湯に浸かる日常

あらゆることに中途半端なならず者が、好きなように好きな話をするブログ

「ちゃんとしててうれしいです」

 

 

同僚と後輩と焼肉を食べに行った。

大爆笑の連続で、最高の華金だったといえよう。

帰り道、自分が煙と肉の匂いに包まれていたのも、もはや愛しかった。

ふだんなら「くさいなぁ」と思うのに。

そのくらい、よかったのだ。

 

 

なんの話の流れだったか、

同僚が私に言ったことが心の中に刺さっている。

 

「こんなこと言ったら失礼かもしれないけど……。

 最近ちゃんとしてはって、僕うれしいです。

 メイクされてたり」

 

普段の私ならブチギレていたかもしれないが、

今日は言われていやな気がしなかった。

気持ち悪いな、とも思わなかった。

なんかフラットに、「そうでしょ? ありがとうございます」という感じだった。

 

 

私は自分の見た目に頓着しないタイプである。

ここ数年はすっぴんで会社に行くことがふつうだった(眉毛は書く)。

コンタクトを入れることすらめんどくさければ、

分厚いレンズのメガネのまま外に出る。

髪の毛も「短いこと」以外特にオーダーはなく、

幾人もの美容師さんに困った顔をされてきた。

 

そんな私が最近、ポイントでメイクを再開しはじめた。

面倒だし、汗ですぐ取れてしまうので

相変わらずファンデーションは塗らない。

 

スキンケアをしたら、カラーコントロールの日焼け止めだけを薄くつける。

眉を書き、目尻にだけアイラインを入れ、上まつげにマスカラを。

チークを入れると間抜けになるので(クールに見えるチークってあんまないよね)、

仕上げに赤いリップを適当に2往復くらい。

 

 

髪の毛がかなり短いので、イヤリングもつけるようになった。

爪も塗っているし、指輪もはめている。

こんなこと、28年間生きてきてほとんどはじめてのことだ。

 

なにか心境の変化でも?

と同僚は私に聞いたけれど、別に、ない。

 

でも、コロナ禍でのリモートワークの最中に気づいたのだ。

 

「ここをこうしたら、あそこもああしたら、

 そこをそうしたら、もう少しだけマシになりそう」、と。

 

相手のみならず、自分の顔面とも対峙し続けなければならないビデオ会議を通して。

 

 

こんなにも自分の顔を見続けたことはいままでなかった気がする。

容姿への自信のなさから、鏡を避けてすごしてきたから。

自分が鏡を見るときは、自分を良くするためではなく、

「自分がやばくないかどうかを確認するため」だったから。

 

でも、ビデオ会議では否が応でも自分が見える。

だったら少しでも「私の思う『よい私』」でいたいと思ったのだ。

そしてそれを実行してみたら、第三者にも伝わったのだ。

「なんかちゃんとしてる」と。

だれかのためでも、なにかのためでもなく

「自分が気持ちよくすごせるため」にしたことがよい作用を生んだ。

それがうれしかったのだ。

 

 

そもそも化粧というのは難解すぎる。

やることも塗るものも多すぎる。

というか前提のハードルが高すぎる。

ふたえでないと、顔の輪郭がよくないと、

鼻筋がきれいでないと「かわいくなれない」。

 

そんなもの、持ち合わせていないから。

だからはなから諦めていたのである。

 

 

でも別に、私は「かわいくなりたい」わけではないのだった。

女らしく見られたいわけでもないし、

まあ、言うてしまえば「ちゃんとしてる」と思われたいわけでもなかった。

私が私として納得のできる私になりたかったのだ。

いまは、ちょっとなれてる。

そう思う。

 

 

これは余談だけれど、

昔よりも自分に似合うものが判断できるようになった。

 

パーソナルカラーと骨格診断は、

面倒くさがりで、情報過多だと混乱をきたし

やる気をなくす私には救世主のような存在だ。

無限の中から選ぶのはつかれてしまうが、

「ある程度」が決まっていれば楽だ。

 

幸い、「明らかにブルーベース」で「明らかに骨格ウェーブ」なので、迷うことはなくなった。

現代の知恵よ、ありがとう。

 

 

私が私らしくあるために。

これからも、面倒でないときは続けるつもりだ。