ぬるま湯に浸かる日常

あらゆることに中途半端なならず者が、好きなように好きな話をするブログ

父親と仕事の話をした

社会人になって丸3年が経った。経ってしまった。日々に忙殺され、大学生の頃に描いていた仕事に対する憧れめいたものなど消え失せた。そもそもそんなものは、就活ハイの中でなんとなく現れただけの、「それっぽいもの」だったのかもしれない。というか私は、許されることなら働きたくないという怠惰な部類の人間だ。「それっぽいもの」なんて、就活のために考えた偽物だった可能性もある。でも志望動機は覚えていて、それは私の中で、いまの会社で達成したいひとつの目標だ。とはいえ、、、と、この後も続けていきたいところなのだけど、愚痴につながってしまうので、ダラダラとした前置きはここで仕舞って、タイトルの話をしよう。

先日実家に行った時のこと。ふたりでお寿司を食べに行った。それは大変、鼻にツンときて(単にワサビが効いていただけだが)、おいしかった。父と対面でくだらない話をするのは実に久しぶり。帰り道では、私の会社の現状についてあれこれ聞かれたあと、商社勤めである父親の話になった。聞けば、なんと父は最近、採用説明会に参加し講義を行ったのだという。

「学生なんて一辺倒の質問しかしてこないんだよな。『この会社でのやりがいはなんですか?』とか、『おもしろかった仕事はなんですか?』とか。で、俺言ってやったんだけど。『仕事がなんとか片付いて、あとから思い返したら、大変だったけどあれはやってよかったなぁっていうのはある。でも、仕事をしてる最中におもしろいなんて思ったことは一度もない』って。『やりがいなんてものはない。社会人として自立することが最優先。お金を稼いで、自分で飯食うところから。やりがいをいちばんに求めるならこんなところに来るんじゃなくて、ベンチャーに勤めるか、自分で起業した方がよっぽどいい』って。学生、引いてたよ(笑) 」

我が父ながら、かっこいいなぁと思った。と同時に、自分の胸にもグサグサと刺さった。最近もやもやとくすぶってた違和感ってこれだったのか。やりがいオバケだ。就活の時もそう、ツイッターを見ていても、実際に働いていてもそう。

自分が「何者かにならなければいけない」、「自分にしかできないことがしたい」、「自分が何か達成した気になれるなにかがしたい」という強迫観念に駆られるのだ。これが死ぬほどつらい。自分はなにもできていない、あの人は若くしてこんなことをしているのに、と考えては、理想と現実のギャップが肥大化していく。

もちろん、組織に属してもある程度の目標を掲げ、自分でお金を生む、という意識は大事だ。就職したからといって、なにもなしに企業が勝手にお金をくれるわけではないから。

しかし、「やりがい」を隠れ蓑にしている企業は本当に多いし、それに絡めとられて身体を壊す人を何人も見てきた。やりがいオバケに捕まったんだ。

自分の特性を活かせるところや興味が持てるところを探して、まずは社会的に自立すること。小さくても目標を達成して、徐々にできることを増やしていくこと。未来で手に入れておきたい能力も考えながら。そうすると経験は積もる。あとでやりがい(やったった感)を感じられるようになる。順番が逆なのだ。「やりがいを感じられる/感じられない から、 やりたい/やりたくない」ではなく、「目の前にあることをどうやってクリアしていくか?」。そしてそれを達成しながら飯を食っていくのだ。

凡人である私が凡人として、社会人として生きる。お金を稼いで自らを養う。まずはそこからだ。やりがいなんて、イマココにはない偶像を追いかけてフラフラしないように。

 

(余談)

あんなこと言った父だが、仕事に夢を持つことをないがしろにしているわけではない。「『やりがい』だけでやってたらすぐに潰れる。大切なのは、自分を食わせられるだけの給与と、身体を休めさせられる休日日数。そして夢を見させてくれる先輩。人を動かすためには『売上を上げろ』じゃなくて、後輩たちにがんばって動いてもらえるように、上の立場の人間がいい未来を想像させないと」。私は父に、心からの拍手を、心の中で送っておいた。

(ほとんど)なにも思い出せなかった話

先週、エレカシスピッツミスチルのライブを観るために、土〜月までを、両親の住む東京で過ごしまして(ライブの感想についてはまた別途どこかで書きたいんですが(もう遅い?)とりあえず横に置いときますね)。その時の話です。

この年明けに両親が某玉県から都内に引っ越しまして。その先が偶然にも、私が小3〜中2までを過ごした地区だったんですね。ということで、約10年ぶりに自分が通った学校や、よく遊んだところを巡ってみて、なんかこう、思い出に浸ってみたいなって思ったんです。なんとなく、エモい気持ちになりたくて。自転車の変速をいちばん重くして商店街を駆け抜けてみたり(嘘です歩きました)、友達の家の前を通ってみたりしました。

ええ、そうやっていろんなところを巡ってみたんですけど、びっくりするくらい、ほとんどなにも覚えてなくて。だからまったくエモい気持ちにならなかったんですね。よみがえる思い出、ほぼ1ミリもない。え、なんで? ウケるんですけど。

理由としてはたぶん、私にはこの頃のことを語り合える友達が身近にいないからなんじゃないかなと。facebookでつながっているだけで、実際会って話したりとか、そんな機会はなくて。つまり、10年の間に思い出を反芻したりエモみを増幅させたりするきっかけがなかったんです。そりゃ覚えてらんないわな。

だとしたら、ですよ?

私が思春期全盛をすごしたあの東京の地で遭った嫌な目や植えつけられたトラウマって一体なんなの?って話で。そんなものばかり頭の中にこびりつかせて、憎しみだけを勝手に自分の中で増幅させていってたけど、もしかしたら、実際は本当にしょうもない、どうでもいいことだった可能性がありますよね(そんなことない!と言い切れる記憶もあるけど、それはほんの一部だけ)。

こう思った時点で、あ、もう無駄だからや〜めよ、いちいち過去に囚われるのや〜めよ、って、スパーン!と切り替えられたんですよね。自分が考えているよりずっと、人間の記憶って曖昧だし、昔のことなんていちいち覚えてらんないみたいだから。なのに、本当にそうだったのかどうかすら怪しい嫌なこと・悪いことばっかり思い出す(私の性格上の問題点)のってめっちゃくちゃアホくさい!

これに気づいた瞬間の心の軽さったら。清々しいくらいでした。むしろ気づくの遅すぎるくらいだったかも? どうせ忘れてしまう過去のことはどんどん流してバンバン清算していきたいと思います。忘れたくない大切な思い出だけ、どこかに書き残して、それを読み返してはしあわせな気持ちに浸ることの方が、よっぽど生産性ありますよね。

まぁしかし、第2の故郷とも言える場所だったはずなのに、なんの感慨深さもなかったのはちょっとショックでしたけどね。10年訪れてなかっただけで、あの空間にとっての私は完全に異物だったみたいです。知ってる風景なのに、あまりにも身体になじまなすぎた。自分だけが周りから浮いてるみたいな感覚があって、すごく居心地が悪かったです。その違和感が転校初日のことを思い出させて、うわー、出た〜、人生で数回感じたこのよそ者感〜ってなりました。土地(というかコミュニティ?)が身体にフィットしないあの感じ、すごく苦手です。だから春はいまだに好きじゃないなぁ。そういう時期だから。

最近の話

おこんばんは。みなさんどのようにお過ごしでしょうか? 元気であればこれ以上ないすばらしいことです!

私はと言いますと、もう回りくどく話をするのが面倒なので書いちまえ!となったのですが、つい先日心療内科にかかりまして、「うつレベルが中程度」との診断がおりました。いぇいいぇい✌️ 別に会社休めとも、親に言えとも言われなかったのでどちらもするつもりはないんですが、医者曰く「疲れてますね。ちょうどいい時期に来られましたよ」とのこと。重度となると起き上がれなくなったり、外出もままならなくなるからのようです。ちなみに中程度であれば、時々会社に行けなくなるくらいのレベルなんだとか。休みはしなかったけど、最近の毎週土日は死んでることが多かったですね。

原因は仕事ですが、まぁ誰が悪いとかではなく、ものごとに対する私の考え方があんまり良くなくて、自分を責めたり意味もなく気を使いすぎたり、なんかそういうことの積み重ねだと思います。安定剤を処方されて、認知行動療法をしていきましょう、ということになりました、とりあえず。

わざわざこんなブログで開示しやがって、芸能人気取りかよ、かまってちゃんかよ、と思われるかもしれませんが、LINEや直接会った時に個別に説明すると、受けた側は絶対に返答しなきゃいけなくなるので気使うと思うんですよね。なのでこういう形にしました。なら言わないでもいいんじゃね?ってなるし、たしかにそうなんだけど、でも急に体調不良で約束守れなかったり、コミュニケーション取る上で迷惑かけたりってのもなきにしもあらずなので、ということで書いた次第です。つーか私が話して説明すんのが苦手だからです、ごめんなさい! 

まぁでも別に普通なので(家事とか全般できるし、遊んだりも問題ないし、先に書いたけど仕事休んだりもしないし)、普通に接していただければと思います。ちょっと不安になりやすかったり、イライラしがちだったり、そんなんなので、迷惑をかける場合もあるかもですが、そういう時はちゃんと「迷惑や」と言ってください。そんなんで泣いたり死んだりはしませんので。大人ですので。

いざ自分がこんなことになってみると、意外と大げさなものでもなく、特に深刻に考える必要もないということが分かりました。たぶん気づいてないだけで、知らないだけで、周りにも結構いらっしゃるんじゃないかしら。それを知れただけでもよかったんじゃないでしょうか。まぁそれなりにつらい時もありますけど。

ちなみに受診した理由は、去年の夏頃から体調が思わしくなく、吐き気、頭痛、耳鳴りの症状が出て来、放っておいたら(心療内科には行かず、別の方法でごまかしてた)イライラが止まらなくなり、これ以上野放しにしていたら、だれかに暴言を吐いてしまいそうな危険信号を感じたためです。みんなも気をつけて。

しばらくお酒は飲めませんが、ごはんは余裕で食べられるので、変わらぬお付き合いのほどよろしくお願いいたしまーす🤲 

グミ愛

「スミスさんって、めっちゃグミ食べてるイメージなんですけど、好きなんですか?」

仕事中、小腹が空いたのでジュレピュレをつまんでいたら、その様子を見ていた後輩から声をかけられた。このグミはコンビニで万札を崩したくて買ったものだったが、たしかに飴でもガムでもなく、迷わずグミを取っていた。

改めて聞かれることもそうそうなかったけれど、好きか嫌いかで問われると、好きだ。昔からそう。アンパンマングミから始まり、もぎもぎフルーツ、ヒモQ、果汁グミ、ピュレグミ、ハリボーポンジュースグミ、最近だとピュアラルグミ……(ポイフルはグミに入るか微妙だけど、これはあんまり好きじゃなかったなぁ)。別に凝っているわけではないので、スーパーやコンビニで売っていて、目についたものを買う程度。だけど好きと言っていいと思う(よね?)。

私が最高にグミ狂だったのは大学時代。週2で部活をやっていて、授業終わりから部活までの間で小腹が空くことが多くなったことに由来する。その頃、なにを思っていたのかはもうさっぱり覚えていないけれど、大好きなチョコレートよりカロリーの低いもので小腹を満たしたいと思っていた。それでなんとなくたどり着いたのが、グミだったのだ(カロリーを気にしていた時代が私にもあったのね、、)。

改めて食べるとやはりグミはおいしい。小さい頃から親しんできたものだし、だから当然のごとくみんな好きなんだろうと思っていたけれど、意外といるのだ、グミ嫌いが。

私はおいしいものは共有したい派なので、その場にいる人に自分の食べているものを「いる?」と聞いてはあげるという行為を繰り返していたのだが、チョコレートの拒否率はほぼゼロに近いのに対し、グミは1割程度いる。でも思い出せば、自分の母もグミ嫌いだった。強い匂いと食感が嫌なんだそうだ。

だから、グミの場合は人にあげる前に聞くようになった。「このグミめっちゃおいしいんやけど、苦手じゃなかったら、いる?」と。

意外と国民的菓子ではない、微妙な立ち位置のグミ。でもやっぱり、私はそれが商品棚にぶら下がっていると、飴よりガムより優先してしまうのだ。たしかにチョコレートには劣るけれど。